20 Mar,2023
「ムチをアメに変える、知恵。」と題し、
厳しくも愛ある言葉を、エピソードとともに語り、自分らしさを育てる知恵について綴ります。
VOL.1 「もし、生まれ変わったら?」の正体
「その人」には、ある雑誌の連載で月に一度、定期的にお目にかかっていました。
職業・俳優。モデルやディレクターとしても幅広く活躍する、マルチな才能の持ち主。透明感のある肌、バランスの取れたスタイル、スタイリッシュな出で立ちなどの見た目はもちろん、穏やかで優しくて、それでいてとびきりユーモラスな人柄に、会うたびどきっとしたり、きゅんとしたり。毎回、仕事であることを忘れるほど、わくわくする時間だったのです。
家族や親友など「身内」は、私がいかに彼女に憧れているかを知っていました。なぜなら、ことあるごとに、「もし、生まれ変わったら、彼女になりたい」と言うから。彼女みたいになれたら、私はこんなこともしたい、あんなこともできる……。意味など深く考えず、むしろ無意識に近い感覚で、それはそれは軽やかに口にしていたからです。
ある日、気の置けない仲間でビール片手に食事をしていたときのこと。ほろ酔いの私は、またも「もし、生まれ変わったら」と話を始めました。すると、向かいに座っていたひとりがひと言。
「ご両親に失礼じゃないかなあ」。
生まれ変わったらと妄想するのは自由だけれど、言葉にすると、しかも何度も繰り返されると、自分という存在をないがしろにしているように聞こえる。あなたを生み、育ててくれたご両親にとって、その心の向きはどう映るだろう? だから、もう口にしないほうがいいと思う……。予想だにしなかった視点に、はっとさせられました。瞬時に言葉が全身を駆け廻り、凝り固まった思考の癖が解けて、心が気持ちのいい方向にするりと変わったのを感じたのです。
そうそう、父にそっくりの目も、母にそっくりの声も、私にしかないもの。もちろん、コンプレックスはたくさんあるし、年齢を重ねてもコンプレックスのままだけれど、それさえも私にしかないもの……。以来、自分への「愛着」みたいなものを感じ始めました。
さらりと放たれたひと言で知った「もし、生まれ変わったら」の正体。私はずっと意識して年齢を重ねると思います。生まれ変わっても、私。それって結構、いいじゃない? と思いながら。
