ーかぶらない猫の話ー vol.3 嫉妬の念にかられた話

26 Aug,2022 #かぶらない猫の話




インスタグラムで、たまに「100問100答」というコーナーをやっています。いわゆるQ&Aで、いただいたご質問に100問限定で無作為にお答えするというものです。
過去に「自分にないものを持っている人に嫉妬してしまう、こんな自分に嫌気が差してしまうのだがどうしたらいいか」というお悩みをいただいたことがあって、私はそれに「嫉妬は憧れに変換できる」とお返事しました。これは別に私が編み出した解決方法ではなく、ヨガやアーユルヴェーダの智慧から学んだことでございます。

この教えは非常に役に立っています。素晴らしい人と自分を比較して自分を落とすのではなく、素晴らしいその人はどのような道筋を辿ってあの場所に行ったんだろうかと想像してみる。実家が太い、生まれた瞬間から神童などのガチャ勝利ケースもあるでしょうが、どちらかというと紆余曲折あるなか努力して乗り越えて来られていることのほうが圧倒的に多いのではないかとも思うんですね。それを師とさせていただくほうが、オトクですよねとつくづく考えます。



ですが先日、あまりにも素晴らしい文章を書く作家さんに出会ってしまいました(一方的に)。その方はもともと編集者として会社勤めをされていたのだけど、Twitterで続けていたレシピのつぶやきが書籍化され、その後何冊も本を出されています。料理にまつわるものと、エッセイと。
こんな文章を書ける人がいるなんて。完全なる嫉妬の念が私のなかに生まれました。料理はもちろん、日々の暮らしや培ってきた経験、蓄積された思いを、こんなに美しく切れ味のするどい、少しだけ暗さもあってまろやかで色気に満ちた文章として表現できる人がいるのだと。この才能が喉から手が出るほど欲しいと思いました。正味、私の表情は般若のお面みたいになっていたと思います。羨ましさのあまり。

なにより、自分のことを一切取り繕うことなく(「猫をかぶる」ことなく!)綴っているにも関わらず、圧倒的な美しさを持っているというところに強烈に嫉妬しました。私(AYANA)はいつも同じモードで猫をかぶっていない。かぶることができない。でも、その姿勢にあぐらをかいて甘えていたのではないか。これしかできないのが私なんだし、とぞんざいに過ごして、自分自身の手入れを怠っていなかったか。そんな風に大反省大会がはじまり、どんどん自己嫌悪のループに……。



でもそこで、もうひとりの自分が「嫉妬は憧れに変換できる」のプラカードを掲げてくれたんです。羨ましい羨ましいずるいずるいじゃなくて、どんなふうにその人生を構築されたのかな?そこにヒントはないのかな?と思うようにしてみようと。すると精神が不思議とカームダウンされていき、この方のエッセイを冷静に、点検するように読み進めてみることができました。

すると、やはり文才とは後天的に磨くことが可能な側面を持っているのかなと想像させる、その方の人生における工夫や努力、大変なご経験などがありありと記されていました。とてもさりげなく、さりとて惜しみなく。それを読ませていただける、指針とさせていただける。ありがたいことです。
現金な私は、調子よくそこに希望を見るのです。私もこれからの人生の過ごし方次第で、あるいは的な。気づけば般若の面は消え、私の顔は星のカービィみたいになってました。

TEXT : AYANA