VOL.1 清潔感

16 Apr,2021 #美容迷子は煌めいて


綺麗の正解って、何?
「ない」から見つからないのか、それとも「ありすぎる」から見つからないのか。
本当の綺麗を見失っている「美容迷子」も多いのではないでしょうか?
美を創り出すアーティストとして、美を分析するエディターとして、それぞれの立場で綺麗を見つめてきた濱田マサル×松本千登世の、こっそり聞いてほしい「ここだけの話」。
まるで「因数分解」するように、綺麗のピースを集めます。



VOL.1「清潔感」



松本千登世(以下松本):
さまざまな媒体で触れるマサルさんの潔いまでの美意識に、影響を受けていました。

濱田マサル(以下濱田):
じつは、取材でお目にかかったのは、一回だけなんですよね。
互いに存在を知りながらも、「対岸」にいた気がします。

松本:
柔らかい青空が印象的な春の朝、表参道の『アニヴェルセル カフェ』で。
そのとき、「自分の心の温度や空気といった『揺らぎ感』に寄り添いながら生きることが美しいと、僕は思っているんです」とマサルさん。
想定しない答えにはっとさせられたのを、鮮やかに覚えています。

濱田:
美容への関心が高まり始めて、20年? いや、25年くらいになるでしょうか?
嶋田ちあきさんや藤原美智子さんなどの先達が圧倒的な格好よさで切り拓いてくれたフィールドで、僕も含め、アーティストたちはひたすらメイクアップを通して綺麗を提案してきたけれど、その先にある精神的なことが伝えきれていなかったんじゃないかって思うんです。
本当の綺麗は、そこにはないって……。

松本:
女性誌の編集部からこの仕事をスタートして四半世紀以上。
まだ美容というジャンルが確立されていないところから、ドラマティックに進化していくのを「渦」の中でつぶさに見てきました。その間「年齢に抗う」とか「異性に愛される」とか「個性を愛する」とか、綺麗の目的があれこれ変わったり、複雑に絡み合ったり。
そのたび、自分が思う綺麗と「ずれ」が生じていたのも、正直なところ。
綺麗って、もっとシンプルなものなんじゃないの? って。

濱田:
「パーソナル顔診断」を続ける中で、不思議に思うことがあるんです。
それは「私ってどうですか?」「私って大丈夫ですか?」という質問が多いこと。
綺麗になりたい、綺麗に見られたい……、だからの「私って?」。
でも、ね。
僕は、自分の中の綺麗を押しつけたくはない。
綺麗は人それぞれ違うし、どこに住んでいるか、まわりに誰がいるかといった環境や、もちろん時代によっても変化するもの。
自分がどうありたいかは、第三者目線で自分を見つめないと、見えてこないと思うんです。
綺麗って結局、見る人の「価値観の投影」だから。

松本:
価値観の投影、なるほど! 
だから、環境や時代によって変わる……。
その中で、あえて変わらないのは?

濱田:
僕の中で、普遍的な綺麗の条件は、何と言っても「清潔感」。
毛穴が一個もないとか、シワが一本もないとか、そういうことじゃないんです。
均一感のある肌であり、満ち足りた潤い感であり、つまりは、日々手入れが行き届いた肌から滲み出てくる、普遍的なものだと思います。

松本:
以前、化粧品会社の男性研究者にお話を伺ったとき、「どんな肌を目指して研究をしていますか?」と問うたら、「手入れの行き届いた肌」と。
私自身、コンプレックスやエイジングにいちいち溜息をついた経験もあるけれど、最近になってそんな自分に慣れたら(笑)、私のシワや毛穴は、誰も見ちゃいない、もっと大事なことがある、と思い始めました。
それは、人としての鮮度と純度。年齢軸とは関係なく、心がけることができるもの。マサルさんの言う「清潔感」なのかな、と。

濱田:
もっと言えば、肌だけじゃないんですよね。
もちろん、顔の造形でもない。話し方だったり所作だったり、それから生まれる「雰囲気」や「残像」。
突き詰めると、ハート、なんですよね。だから、僕は、「アイメイクを教えてください」「眉の描き方を教えてください」の答えとして「まずは、髪や姿勢を変えましょう」と言うことも。
だって、全身の中で、顔はせいぜい10分の1、目元なんて15分の1、それよりも引きの目線で捉えたら、すべきことがたくさんあると思うから。

松本:
「メイクアップには、まだ早い」と言われた気がして、どきりとしました。「清潔感がない」は、どんな悪口よりも落ち込むだろうなあ、と思います。

濱田:
もちろん、メイクアップやスタイリングは、ハートに働きかける「元気玉」になりうるものだから、順不同だとは思うけれど……。
その間にある「何か」を言葉にしたい、ちゃんと伝えたい。綺麗を因数分解するように、ふたりで自由気ままに話しましょう。



TEXT : CHITOSE MATSUMOTO